瀧源商店の歴史

瀧源商店の創業者は安政3年(1856年)に滋賀県で産まれた滝助彌(スケヤ)と記録されています。次男である滝源造(ゲンゾウ)が1歳になった明治29年に北海道へと渡り、はじめは小樽で米穀商を営んでいましたが、「手宮の大火」で一切を焼失。

その後新天地を求め、明治37年(1904年)、枝幸町で鮮魚を中心に扱う「瀧源商店」を設立したとされています。

この当時はニシン、オヒョウ、カレイ、タラなどが主力であり、当時は毛ガニの食材的地位が低く、浜辺を覆いつくす毛ガニを砕き、肥料にしていたという記録も残っております。

2代目である源造指揮のもと、当時では珍しかった電話やトラックなどの設備も揃い、更なる発展を遂げようとした矢先に町史に残る大事件「枝幸町大火」が襲います。

多くの死傷者を出したこの事件により、またも店舗や家財を失いますが、多くの町内外の皆様からの支援により店舗を新築し、再起を図ります。

また「この時に受けた恩義を忘れてはいけない」という気持ちが、幼き日の3代目社長、滝源司(ゲンジ)の心に灯ります。源司が中心となった昭和の時代には、自社の発展に加えて町内の発展に大きく関わりました。

源司は「枝幸青年同志会」を組織して町のPRイベントを開催(現在、町内最大のイベントであるカニ祭りの原型と言われています)、北海道初となる「水産加工協同組合が立ち上げた保育所」の設立など、町内の発展に大いに力を尽くすこととなりました。

その後は4代目社長(現社長)・滝浩司(コウジ)へとバトンが受け渡されます。町内に巨大量販店が建設され、昔ながらの個人商店が軒並みシャッターを下ろした時期でした。

その中でたきげんは「原点回帰」を掲げて心機一転、店舗をリニューアル。
より一層「地元鮮魚にこだわる店」としての方向性を強めて行き、多くの支持を得ましたが、2次改装工事中の事故により、店舗がまたも焼失する憂き目に。
しかし不屈の闘志をもって再建を目指した結果、旧農協Aコープ跡地に移転が決定。
不死鳥のごとく「瀧源商店」は蘇りました。

そして現在、瀧源商店は新たにインターネットでの商いに挑戦します。
社是である「誠心誠意」「品質本位」の精神を忘れることなく、
全国のお客様へ最高鮮度の商品をお届けいたします。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。